mag-nesia

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月曜日, 2月 20, 2006

編集後記:週刊新潮と週刊誌

週刊新潮が創刊50周年だそうで。
出版社系の週刊誌としては最も長い歴史を誇るんだそうだ。

週刊誌の、メディアとしての信憑性をうんぬんするコメントが、諸メディアでよく見かけられる。だけど、現代ポスト文春クラスなら、たいがいは問題ないはずだ。10万単位で売れる雑誌が虚偽の事実を書けば、代償はそれなりに大きい。当たり前だが。

それより気になるのは、半ば開き直って「逮捕も視野」とか「辞任のあり得る」とか、可能性の存在を指摘するだけの記事を乱発するしている点。これは作り手としては非常に楽な仕事で、決して事実を述べているわけではないので、好きなように書き飛ばせる。記者にとって一番のプレッシャーは、「事実と異なることを書いてないだろうか」という心配。事実でないことを事実と断定しようものなら、今のご時世即裁判だ。しかし、可能性だけならどこにでも存在する。「事実と違うのでは」という不安から逃れ、好きなように記事を作ろうとした結果、見出しは「逮捕も視野」とか「辞任もあり得る」になる。

楽に雑誌をつくろう、という意図が透けて見える気がするわけです。

思いこみに立脚した取材とか、悪意ある個人攻撃とかよりも、こっちのほうが問題としては大きいと思う。そもそも、週刊誌は同情してしまうほど取材期間が短い。それっぽいコメントを上げてくれる専門家はだいたい決まっていて、その人たちに話を聞いて終わり、なんていう作り方は、ある意味仕方ないのである。

事実を取り上げた記事と可能性を取り上げた記事の、どっちが多いかを比較してみて、事実のほうが多ければそれが理想的なのだろうが、今の現代ポスト文春クラスはどうなのだろうか。
あんまり読んでいないのでわかりませんが。